『昭和ダイナマイト』を知っていますか?
岩渕潤子→金正勲さま
■レトロなフラッシュ・アニメがかわいい!
最近、MTVで放映しているフラッシュ・アニメ、『昭和ダイナマイト』の一部を偶然、入ったコーヒー店で見かけ、その秀逸さに目が吸い寄せられてしまいました。
すぐにMTVのサイトで調べてみると、「舞台は昭和日本。大田区に位置する、ごく小さな中小企業。普段は建設業の下請けをしているが、実は彼らは次々と現れる悪のロボットに立ち向かう戦闘集団であったのだ。その名も『昭和ダイナマイト』!」という番宣コピーが出ていました。現在放映中の番組であるため、まだネットでは配信されていない(7月25日現在)ようですが、早くネットでいつでも見れるようにならないかと待ち遠しくてたまりません。
近頃、はやりの「バイラルCM」の文脈で紹介されるフラッシュ・アニメを含むネットCMには「作品」として見ても面白いものが多く(世界おもしろCMランキング)、商品のことなどはどうでも良く、CMだけを見て面白がっている人が多いことでしょう。私自身も正にその典型で、MTVのサイトで配信される過去の番組とネットCMと、同じ熱心さを持ってアクセスしています。
★今、イチバン話題のバイラルCMはコレ
なので、今日はネットCMとして流れる面白い短編映像についてお話しようと思っていたのですが、『昭和ダイナマイト』に現れる日本人の郷愁をそそる「夕日に照らされた昭和の町並み」と「昭和」をイメージする実直そうな、いわゆるイケメンとは言いがたいルックスの日本人男性が、あくまでも真面目そうに、かわいらしいロボットで悪者と闘う様子は、なんとも平和で微笑ましく・・・ちょっと違うテーマを思いつきました。
それは、『昭和ダイナマイト』に出てくるような、小さな町工場が支えていた日本の製造業と高度経済成長が象徴する、戦後の「昭和」という時代の消費構造のことです。
■「昭和」をキーワードに考える日本人の価値観
私はもともと、文化や芸術という、大部分は非物質的な財をやり取りする世界の人間なので、そういった非物質材を生み出す芸術家たちがどうやったら暮らしていけるようになるのか・・・ということを考えないとならない立場にあります。
「鑑賞者を増やさないと芸術の市場は育たない」とか、「受け手の感性を磨かなければ優れた芸術は理解されない」などといったことは良く言われるわけですが、「なぜ鑑賞者が増えないのか」、「なぜ受け手の感性のレヴェルは向上しないのか」という議論はあまりされないのが文化・芸術の世界です。
で、私は考えたのですが、美術にしろ、音楽にしろ、「鑑賞者が増えない理由」、その根本的原因は、日本人の労働時間と通勤時間が長過ぎるからではないかと思ったわけです。日本人の就労時間を考えると、とても芝居やコンサートがスタートする時間までに、ゆとりを持って劇場に到着することもできなければ、最後まで鑑賞していると、公共の交通機関がその日のサーヴィスを停止して、家に帰りつくことができなくなってしまいます。感性の研ぎすまされた人には、そんな暮らしは耐えられないので、自己防衛機能として、日本人の感性はどんどん鈍くなって行ったのではないでしょうか。
これが実は、日本の高度経済成長を支える原動力になったものと私は分析しているのですが、時間を奪われた人々は、残業代で稼いだ賃金を家電製品や自動車の購入に費やしてはストレスを発散し、豊かになったような気持ちになっては、また、働き、さらに増えた賃金で新たな商品を買うというサイクルを邁進する結果となったのでしょう。自分たちが労働して生産したものを、みずから稼いだ賃金で購入するわけですから、これほど効率の良い経済循環はないですよね。たしかに、この無駄のない経済循環は日本に高度経済成長をもたらしたわけですが、果たしてそれで、「日本人」は豊かになったのでしょうか?
「芸術や文化の市場がなぜ育たないのか」という話に戻りますが、私は、今まで日本で「芸術・文化の振興」と呼ばれてきたものの多くが、例えば「ピアノをできる限り沢山売るための音楽教育」であったり、あるいは、「高額ステレオを沢山売るためのクラシック鑑賞」、または、「TVを売るための映画鑑賞やスポーツ観戦」だったのではないかと思っております。たぶん、「音楽を楽しむためのステレオ」だったり、「自分で演奏する喜びを味わうためのピアノ」ではなかったのではないでしょうか? なぜなら、こうしたことは、すべて「絶対的なある程度の長さの時間」を必要とする行為だからです。時間のない日本人はこうした行為を象徴するモノを購入することで、あたかもソレそのものを手に入れたかのように、簡単に満足してきたのではないでしょうか。
そのため、高度経済成長期以後、より高額なピアノやTV、ステレオを所有している人のほうが、あたかも「より熱心な愛好家」であるかのような錯覚を持つ日本人が増えてしまったのではないでしょうか。
ピアノ・メーカーは経営戦略上、ピアノのお稽古教室を全国組織的に展開し、また、ピアノを購入した多くの人は、最初はこうした教室に通うものの、思ったより熟達するのに時間がかかる、勉強したり、働く時間が最優先されるために練習する時間がないなどの理由で、あっという間にやめて行ってしまうわけです。しかし、ピアノ・メーカーとしては、ピアノを販売したことで第一義的な「製品を売る」という目的、また、ほぼ全員に「一度はお稽古教室に通わせる」ことは達成しているわけですから、「購入者がそれを利用し続けるかどうか」のフォローについては、あまり興味を持たなかったようです。
昭和の時代、核家族がどんどん増え、団地の各部屋にピアノが購入されて行ったのですから、新しいピアノをより多く売ることに集中したほうが、お稽古教室の生徒の数を減らさないようにする努力よりも、メーカーにとってみれば、遥かに効率の良い戦略だったのではないかと思います。
日本がいくら高度経済成長を続けていたからと言って、日本の社会には2台目のピアノを購入するゆとりのある家庭は少なかったはずだし、また、ピアノの練習を継続する人は少ないため、購入者が熟達してプロの演奏家を目ざし、アップライト・ピアノをグランド・ピアノに買い替えるといった需要もほとんど見込めなかったのでしょう。日本企業の長所は、「現実的であること」と「短期的な結果を最優先すること」ですね。
■日本の社会には「絶対時間」が足りない?
芸術や文化だけでなく、日本では「リゾート」施設の失敗が多く見受けられますが、「2泊3日」以上の休暇が取りずらい日本の平均的な労働者にとって、「リゾート施設」を利用することなど、非現実的なことだと思われます。
21世紀に入り、一部の日本人の価値観、及び、労働形態に変化が見られるようになってきたと言われています。しかし、大部分の日本人はいまだに「より長く働いて」も「残業代をもらえる」ことを嬉しがり、その対価として得た賃金で新しいTVや自動車を買って満足しているように見えます。
もし、日本が創造型社会へと変化を遂げていこうとしていて、絶対的な時間を必要とする創造的消費が可能な労働環境の整備をしていかなければならないのであれば、現状のままだと、そのトランジションはうまくいかないのではないでしょうか? ごく一般的な社会人にもっと自由になる時間が確保できなければ、「リゾート地でのんびり休暇を過ごす」といったコンセプトの施設、それどころか旅行商品も売れなければ、芸術や文化の消費量も増えることがないのではないかと危惧しております。
金さんはどうお考えですか?
■レトロなフラッシュ・アニメがかわいい!
最近、MTVで放映しているフラッシュ・アニメ、『昭和ダイナマイト』の一部を偶然、入ったコーヒー店で見かけ、その秀逸さに目が吸い寄せられてしまいました。
すぐにMTVのサイトで調べてみると、「舞台は昭和日本。大田区に位置する、ごく小さな中小企業。普段は建設業の下請けをしているが、実は彼らは次々と現れる悪のロボットに立ち向かう戦闘集団であったのだ。その名も『昭和ダイナマイト』!」という番宣コピーが出ていました。現在放映中の番組であるため、まだネットでは配信されていない(7月25日現在)ようですが、早くネットでいつでも見れるようにならないかと待ち遠しくてたまりません。
近頃、はやりの「バイラルCM」の文脈で紹介されるフラッシュ・アニメを含むネットCMには「作品」として見ても面白いものが多く(世界おもしろCMランキング)、商品のことなどはどうでも良く、CMだけを見て面白がっている人が多いことでしょう。私自身も正にその典型で、MTVのサイトで配信される過去の番組とネットCMと、同じ熱心さを持ってアクセスしています。
★今、イチバン話題のバイラルCMはコレ
極魔界村
なので、今日はネットCMとして流れる面白い短編映像についてお話しようと思っていたのですが、『昭和ダイナマイト』に現れる日本人の郷愁をそそる「夕日に照らされた昭和の町並み」と「昭和」をイメージする実直そうな、いわゆるイケメンとは言いがたいルックスの日本人男性が、あくまでも真面目そうに、かわいらしいロボットで悪者と闘う様子は、なんとも平和で微笑ましく・・・ちょっと違うテーマを思いつきました。
それは、『昭和ダイナマイト』に出てくるような、小さな町工場が支えていた日本の製造業と高度経済成長が象徴する、戦後の「昭和」という時代の消費構造のことです。
■「昭和」をキーワードに考える日本人の価値観
私はもともと、文化や芸術という、大部分は非物質的な財をやり取りする世界の人間なので、そういった非物質材を生み出す芸術家たちがどうやったら暮らしていけるようになるのか・・・ということを考えないとならない立場にあります。
「鑑賞者を増やさないと芸術の市場は育たない」とか、「受け手の感性を磨かなければ優れた芸術は理解されない」などといったことは良く言われるわけですが、「なぜ鑑賞者が増えないのか」、「なぜ受け手の感性のレヴェルは向上しないのか」という議論はあまりされないのが文化・芸術の世界です。
で、私は考えたのですが、美術にしろ、音楽にしろ、「鑑賞者が増えない理由」、その根本的原因は、日本人の労働時間と通勤時間が長過ぎるからではないかと思ったわけです。日本人の就労時間を考えると、とても芝居やコンサートがスタートする時間までに、ゆとりを持って劇場に到着することもできなければ、最後まで鑑賞していると、公共の交通機関がその日のサーヴィスを停止して、家に帰りつくことができなくなってしまいます。感性の研ぎすまされた人には、そんな暮らしは耐えられないので、自己防衛機能として、日本人の感性はどんどん鈍くなって行ったのではないでしょうか。
これが実は、日本の高度経済成長を支える原動力になったものと私は分析しているのですが、時間を奪われた人々は、残業代で稼いだ賃金を家電製品や自動車の購入に費やしてはストレスを発散し、豊かになったような気持ちになっては、また、働き、さらに増えた賃金で新たな商品を買うというサイクルを邁進する結果となったのでしょう。自分たちが労働して生産したものを、みずから稼いだ賃金で購入するわけですから、これほど効率の良い経済循環はないですよね。たしかに、この無駄のない経済循環は日本に高度経済成長をもたらしたわけですが、果たしてそれで、「日本人」は豊かになったのでしょうか?
「芸術や文化の市場がなぜ育たないのか」という話に戻りますが、私は、今まで日本で「芸術・文化の振興」と呼ばれてきたものの多くが、例えば「ピアノをできる限り沢山売るための音楽教育」であったり、あるいは、「高額ステレオを沢山売るためのクラシック鑑賞」、または、「TVを売るための映画鑑賞やスポーツ観戦」だったのではないかと思っております。たぶん、「音楽を楽しむためのステレオ」だったり、「自分で演奏する喜びを味わうためのピアノ」ではなかったのではないでしょうか? なぜなら、こうしたことは、すべて「絶対的なある程度の長さの時間」を必要とする行為だからです。時間のない日本人はこうした行為を象徴するモノを購入することで、あたかもソレそのものを手に入れたかのように、簡単に満足してきたのではないでしょうか。
そのため、高度経済成長期以後、より高額なピアノやTV、ステレオを所有している人のほうが、あたかも「より熱心な愛好家」であるかのような錯覚を持つ日本人が増えてしまったのではないでしょうか。
ピアノ・メーカーは経営戦略上、ピアノのお稽古教室を全国組織的に展開し、また、ピアノを購入した多くの人は、最初はこうした教室に通うものの、思ったより熟達するのに時間がかかる、勉強したり、働く時間が最優先されるために練習する時間がないなどの理由で、あっという間にやめて行ってしまうわけです。しかし、ピアノ・メーカーとしては、ピアノを販売したことで第一義的な「製品を売る」という目的、また、ほぼ全員に「一度はお稽古教室に通わせる」ことは達成しているわけですから、「購入者がそれを利用し続けるかどうか」のフォローについては、あまり興味を持たなかったようです。
昭和の時代、核家族がどんどん増え、団地の各部屋にピアノが購入されて行ったのですから、新しいピアノをより多く売ることに集中したほうが、お稽古教室の生徒の数を減らさないようにする努力よりも、メーカーにとってみれば、遥かに効率の良い戦略だったのではないかと思います。
日本がいくら高度経済成長を続けていたからと言って、日本の社会には2台目のピアノを購入するゆとりのある家庭は少なかったはずだし、また、ピアノの練習を継続する人は少ないため、購入者が熟達してプロの演奏家を目ざし、アップライト・ピアノをグランド・ピアノに買い替えるといった需要もほとんど見込めなかったのでしょう。日本企業の長所は、「現実的であること」と「短期的な結果を最優先すること」ですね。
■日本の社会には「絶対時間」が足りない?
芸術や文化だけでなく、日本では「リゾート」施設の失敗が多く見受けられますが、「2泊3日」以上の休暇が取りずらい日本の平均的な労働者にとって、「リゾート施設」を利用することなど、非現実的なことだと思われます。
21世紀に入り、一部の日本人の価値観、及び、労働形態に変化が見られるようになってきたと言われています。しかし、大部分の日本人はいまだに「より長く働いて」も「残業代をもらえる」ことを嬉しがり、その対価として得た賃金で新しいTVや自動車を買って満足しているように見えます。
もし、日本が創造型社会へと変化を遂げていこうとしていて、絶対的な時間を必要とする創造的消費が可能な労働環境の整備をしていかなければならないのであれば、現状のままだと、そのトランジションはうまくいかないのではないでしょうか? ごく一般的な社会人にもっと自由になる時間が確保できなければ、「リゾート地でのんびり休暇を過ごす」といったコンセプトの施設、それどころか旅行商品も売れなければ、芸術や文化の消費量も増えることがないのではないかと危惧しております。
金さんはどうお考えですか?
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